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理屈をこねてもいいじゃない

承認欲求を満たすためにブログ書いてます

それでも理屈をこね続ける

ある日、大学のとある先生からこう言われた。

「要領悪いのは許せるけど、理屈をこねるやつは嫌いだ」と。

 

この言葉に強い抵抗感を抱いたのは私だけだろうか。

他の場所ならまだ良い。大学は、思想と学問の自由がある。

確かに先生たちからみれば学生は未熟な存在であり理屈をこねる奴は頭でっかちでムカつく存在なのかもしれない。

 

だが、個人的には、せめて大学は、思想と学問の自由があるように、社会人に比べて未熟でも他の人の意見に左右されず自由に考え(理屈)を述べても良い場所なんではないかそう考え続けていた。

だから、私には、その先生の言葉を受け入れることが出来なかった。

 

 

ちなみにその先生のことを擁護するわけではないが、あの言葉を言った先生の気持ちはなんとなくわかる。

うちの大学は就職大学ではないが地方にあるため理論や理屈よりもまず行動すること、現場を重視することが多い。特に震災を経験し、地元の復興を担う県の大学だからその傾向が強い。そして、その先生は常に、現場の最前線に立っているからこそ、「理屈をこねるやつは嫌いだ」という言葉が出てきたんだと思う。

特に(私を含めて)震災以後理論だけをこねて行動しなかった人のぶんも苦労している。仕事も他の人の何倍もしている。だから大変ななか日々を生きているのだと思う。

 

だけど、先生が学生に向かって、理屈をこねることを否定することを否定するのはやっぱり違うし、その先生の発言に賛成は出来ない。

 

確かに理屈だけだと、頭でっかちになってしまう。

でも、理屈をこねること、いろんなものを見た上で、自分の頭で考え、自分の言葉で表現することをじっくりできる機会があるのは正直大学という場所だけだと思う。

それを、教授という権力を振るう側が、研究と教育を担う側が否定してしまうのはちょっと違うんじゃないのって話。

 

この時言い返せなかった私はすごい悔しい。だけど悔しいだけで終わらせない。私は要領が悪いながらも諦めが悪いからずっとずっと理屈をこね続ける。

 

誰かに(主に権力側)都合良く従う機械じゃなくて、自分の頭で考え、自分の言葉で話し続ける。少なくとも大学では。

頭でっかちと言われても気にしない。

 

だって大学は未熟でも理屈をこねることが許されている場所だから。