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理屈をこねてもいいじゃない

承認欲求を満たすためにブログ書いてます

若干特殊な私の家族

AC メンヘラ 日記

はじめに

 

別記事を書くために私の家庭環境について詳しく書く機会があったので、書こうと思う。ただ、記憶があいまいで整理されていない所が多々あるがそこは了承してほしい。

今回は若干特殊な家庭環境と、恵まれていた点、この2つについて書こうと思う。
長くなるが、是非最後まで読んでほしい。

 

【若干特殊な家庭環境とは】


簡単に言うとアルコール依存症の家族がいること。夫婦げんかの様子しかみていなく直接的に父親から直接的に暴力を受けていたり見ていたりしてないが、家庭内にdvが存在したことである。
また、いわゆる「育てにくい」子どもだった私は、母親の育児ストレスその他で高校を卒業するまで体罰を受け続けた。以上である。


ここでは、体罰のことと、それ以外のことと分けて詳しい話をしたいと思う。

順序は逆になるけど、まずは、それ以外のことについて書きたい。

 

【それ以外のこと】
話は小学校のはじめまで遡る。
私の父はこの頃からアルコール依存症であり、両親の仲も悪かった。
ただ低学年の頃は比較的穏やかだったと思う。

 

問題は中学年になってからである。父のアルコール依存症が悪化し、夫婦げんかが耐えなくなった。母がご飯だけ置いて夜帰んなくなった日が何回かあったり、父親が酒を飲んで1週間以上返ってこない日が何回かあった。

 

高学年になると家庭環境がさらに悪化し、夫婦喧嘩の回数も増えた。両親は、何回も夫婦喧嘩をし、毎年夏に両親は別居した。
私は事後の様子しか見てないので、面前DVとは少し異なるが、家庭内に暴力ありのDVも存在した(多分前からあったのが表面化したんだろうけど)
ちなみに、両親が別居していたから、実際にはそうはならなかったのだけど、母が役所に家庭内のことを相談しにいった時には「シェルター」も勧められたらしい。そんぐらい夫婦関係は緊迫したものだった。

 

小5の夏には、父親が酒で酔っ払って、東京から遠方にある母親の実家に殴り込みに行き、めちゃくちゃにした。
この時母が祖母に向かっていった「本当に悲しいときは涙すら出ないんだね」って言葉は一生忘れないと思う。

小6の秋冬になると目の前で頻繁に夫婦喧嘩を行い、秋には一回離婚するかという話が出たが何故か修復。
ただ、年越しあたりに耐えきれなくなり、目の前で夫婦げんかをした上で離婚。
引っ越し先も転校先の学校も決めないまま、離婚・転校をすることになる。
これまでいた学校の友達にさよならも言えずに引っ越したことは、忘れられない。

 

その後、母親の実家のある市に引っ越し、そこで、中高を過ごした。
個人的には両親の離婚とそれに伴う引っ越しと転校はすごくショックで今もトラウマになっている。
多分それは、離婚する直前の家庭環境が不安定だったのと、離婚と引っ越しの仕方がDVから逃げてくアレにしか見えなかったからだ。
また、小学校の頃は知りたくもなかったし、よくわからなかった家庭環境について察知するようになり「アルコール依存症家族」「DV家庭」「ひとり親家庭」ということを知った。


体罰について】
体罰は小学校に入る前から高校を卒業するまで続いた。


具体的には頭を殴る、背中を蹴る、髪や腕を掴む、首を絞められたりした。

だから個人的には離婚してハッピーエンドなんかじゃなくて地獄は高校卒業するまで続いたなと思ってる。

 

暴力を受け続けた結果、現在でも、人の殴る振りが怖かったり、他人から問い詰められた時言葉が出てこなくて場面緘黙気味になっていたりする。

 

体罰を受ける要因は、母の夫婦生活と育児ストレスによるものと自分が発達障がい傾向があり「育てにくい子」だったことが考えられる。

 

原因が原因だから、体罰は当然かって言われるかもしれないが個人的には暴力を受けると感情がなくなり、自分が自分で無くなる感覚に襲われるので、反対だ。
本当はもっと詳しく書きたいが本筋とはそれるため、別の機会に書きたい。

また、体罰を受け続けた時に感じた具体的な感情については以下の記事を読んでもらいたい。

http://brass3241.hatenablog.com/entry/2015/06/07/030856


【恵まれた部分】
今まで書いたように私の家族は若干不安定な時期があったし、高校卒業するまで辛い体験もした。が、高校まではきちんとドロップアウトせずに大学まで行き、大学で不登校にこそなれどきちんと卒業できる見込みなのは、一見「当たり前」に見えるものだが、うちの家庭的に恵まれた部分がいくつかあったためである。

 

1点目はアルコール依存症父親は子どもには手を上げなかったことである。

もし、父親も手をあげるような親だったら、私は両親から体罰を受け続けなければならず今よりもしんどい体験をしたのであろう。

 

2つ目は金遣いの荒さに違いはあるが基本的に両親は経済観念がしっかりしていたことである。

まず、父は離婚後、養育費をきちんと毎月ふりこみつづけてくれている。
母は自分も仕事しながらも養育費を浪費せずに子どもの生活費にきちんと使ってくれている。そのおかげで経済的には不自由なく生活できた。よくひとり親家庭だと養育費の受給率が低いことが問題となる。だから余計に実感する。

※養育費の受給率についてはこちら
http://tanteinavi.com/youikuhi-fubarai/#1

 

3つ目は教育にお金をかけてくれ、進学を許してもらえる親であったことだ。
国立大限定で、浪人がダメで生活費は振り込むけど授業料は奨学金という色々制約があったがそれでも進学を許してもらえた。受験のための塾にもいかせてもらえた。
そのおかげで自称だけど、高校は進学校に通わせてもらい大学と同じくらい良い体験をした。あの時は言葉に出来なかったけど、教育はかなり大切だなと思った。
ひとり親家庭にしては大分恵まれていたのだろうなとは思う。その点は感謝したい。

私がフラッシュッバックと戦いながらそれでもなお今まで夢を諦めずに生きれたのは「経済的に生活でき高等教育まで受けさせてもらったこと。そして教育の大切さを親から教えてもらったこと」これにつきる。
残念ながら勉強をすることは、大学に入った今でも嫌いだが、何かを学び続け将来に夢を持てるのは大学まで教育を受けられたおかげなんだろうなと思う。

 

最後に


私の家庭は個人的には不健全なことも多く、辛い出来事もたくさんあった。だけど、両親は不健全な環境なりに私を育ててくれた不幸ではないのかもしれない。曲がりなりに不器用だし、夫婦仲は悪かったけど両親なりの愛情はあったのかもしれない。
一方で、不健全な環境下で育つと認知の歪みが生じ今苦労してる。
ただ家庭環境は今に比べ大分穏やかになり個人的には大変嬉しい。と同時に、環境が変わったのは以下のことが考えられる。

両親が離婚してから夫婦間の距離ができ、時間も経ったことで、以前に比べると家庭環境が穏やかになった。また、ひとり親家庭ながらも養育費を振り込んでもらえたため経済的になんとか生活することができたのも大きい。
このようなことから時間と距離と(お金)が私の荒れていた家庭環境を解決していくための方法だったといえる。

最後に、今は比較的家庭環境が穏やかなので、両親にはそのままでいてほしいと強く願う。もうこれ以上荒れた家庭環境は勘弁だ。
そして、私は昔に比べて穏やかな家庭環境の中でフラッシュッバックと戦いながら日々を生きることなのかもしれないなとこの記事を書きながら思った。

 

【追記】

この記事を書こうと思ったきっかけとなった出来事

http://brass3241.hatenablog.com/entry/2017/01/02/134327

家庭環境的な理由でアルコールが飲めなかった時代に受けたアルコールハラスメントについての記事です。