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理屈をこねてもいいじゃない

承認欲求を満たすためにブログ書いてます

Diary:「素晴らしい!!!」という言葉を言われて1

その他 日常生活 日記


先日、久しぶりに南相馬市に来たときに近くにいた人と話をした。
私「実は相馬野馬追行くんですよねー観光で…」
隣の人「(即答)素晴らしい!!」みたいな感じ。

たまたまだったんだろうけど、最初の一言が「嬉しいねぇー」とか「へぇーそうなんだ。楽しそうだね」って反応ではなく「素晴らしい!!」だった。
嬉しいじゃなくて「素晴らしい!!!」
そのことにモヤモヤ。


多分震災がなければ、相馬野馬追は普通の地元の祭だったはず。だからもしかしたら最初の一言は「素晴らしい!」以外の言葉だったのかもしれない。
確かにやってることに「素晴らしい!」って言われたら嬉しい。嫌な気分にはならない。頑張ろうとも思う。でも、嬉しいという気持ちだけにはならない!!
だって、ただ祭を見に行くことさえ「素晴らしい!」ってなるのには何か理由があるだろうから。それが、震災が絡んでいることもあるかもって思った。復興を担ってる人への期待や責任とかさ。もしくは別の理由かもしれないけど。
そのような背景を無視して、ただやりっぱなしもどうなのかなとも思った。
どうせやるなら、いろんな人から聞いたことや体験したことを大切にしたい。すごく!できる限り次に生かしたい。自分への反省も含みながら。課題ばかりだけど。
それは、私が周りにできる唯一のことだから笑。

話は変わるけど、以前友達から「私たちがしてる活動はいつか終わりが来ることが良いことだから」って言われた。
終わりが来るってことは私たちが活動に行かなくなっても大丈夫だってこと。
今は私たちが必要とされているから。必要とされているっていうことはある意味「普通」ではない部分が含まれていて、誰かの助けを欲している状態でもあるからさ。

例えば、南相馬市に限定して考えてみると、行くってこと自体が「素晴らしい!」だけにされないこと。
「素晴らしい!」だけじゃなくて、「嬉しい!」とか、「ようこそ♪」みたいな言葉も増えていけば良いなって感じた。

それから、今は被災地で私とかを必要としてくれる人がいる。嬉しいけど、それによってどうしても「被災者/支援者」みたいな関係はできてしまう。特に私みたいな外部の人間だとそれを意識してしまう
少なくともそうゆう活動をまだまだたくさんの人が必要としている限りは。
でも、いつかは私たちがいなくても大丈夫となるときはくると思う。きっと。かならず。
または、震災に関わる支援を必要とする人がいなくなるか。
その時が、終わりが来る時だと思う。

いつになるかはわからない。だけど、少なくとも南相馬市の場合は小高区の避難指示が解除される来年の4月よりも先だとは感じる。
そっから、しっかりと生活ができるようになるにはもっと時間がかかる。もしかしたら、私が大学卒業してからもまだ終わらないかもしれないけど。
かなり長い時間が必要だけど。

まぁ、私自身は南相馬市に時々しかいかないけどさwww

上手くまとまんないからここまで!!
グタグダな文を最後まで読んでいただきありがとうございます\(^o^)/

あっ、ちなみに相馬野馬追についてはこちらをご覧ください\(^o^)/